日本人同胞を愛する人が少ない理由
ISISで日本人が殺害されたそうです.
残念です.
古谷経衡氏のツイートに以下がある.
今回の事件での「自己責任論」で日本人が同胞に対して薄情である、的なものが浮き彫りになった。が、敢えて言うなら、それでも大多数の日本人は「自己責任論」に嫌悪を抱き二人の無事を祈っていたと信じたい。『日本沈没』の田所博士風に言うなら「それでも私は日本人を信じる」という処か。理想論か。
— 古谷経衡 (@aniotahosyu) 2015, 2月 1
普段なんとなくでしか日本人であることを意識しない我々にとって,同胞友愛の概念を把握するというのはいささか難しいことであるように思います.
しかし考えてみて欲しいのは,例えばオリンピックで日本を応援することや,
もっともっと小さい枠組みで見ると,部活の試合とかで自分の学校の生徒を応援することって同胞友愛に近しいのではないでしょうか.
私自身中学の時分,普段の練習では好きというよりむしろ毛嫌いしていた同級生が部活の卓球で活躍しているのを見ると誇らしく,またピンチになった時は悔しくなって”相手を倒してくれ!”
なんて思いましたからね.
話がナイル川のように脱線してしまいましたが,今回Twitterやらさまざまなブログで自己責任論であったり湯川氏のパーソナリティの異常さ,さらに後藤氏の母の異常さをもてはやしていることを散見しましたが,そういった重箱の隅を突かず見てみるとただただ日本人が殺されたことに悔しいという気持ちになりました.
皆さんはどうでしょうか.
また,このように日本人という同胞をこんなにも愛せなくなった一つの要因に情報が簡単に手に入りやすくなりすぎた事があるんじゃなかろうか.
こう思ったのは,湯川氏のブログの不誠実さから思います.そういったことも容易にアクセスできる世の中になると,(どこかに)いくら良いこととされる情報があろうと邪悪な内容が少しでもあると皆注目や関心がそちらに行ってしまい,大勢が
批判的な内容になってしまうんじゃないでしょうか.
ゴシップやアングラが好きな日本人の特質とも考えられます.
皆さんはいかがお考えでしょうか.小生ももう少し日本人という同胞を愛せる人間になりたいですよ.