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金曜ロードショー(千と千尋の神隠し)の感想

今日日、一体何度千と千尋の神隠し金曜ロードショーで放送されただろう。

そもそもの私のアニメに対する視聴力は低いため、何度見ても感涙を流したりその時時で思うことが多くある。
(雑多な感想は末に箇条書き的に述べる)
また、他人のアニメの感想や考察を受けた上で見るとまた違った見方ができて面白い。

宮﨑駿氏の作品を通じて、同氏はそれぞれのアニメの主張を「カオスの肯定」だと考える古谷経衡氏の考察(だと私はとらえた)を通じてもなるほど確かにと考える。古谷氏の述べるカオスに、自然は現在は必ずしも共存できないし、それを受け止めた上で生きていくしか無いというものがある。これは確か「もののけ姫」を題材にして語っていた。

私は上記のカオス以外に湯屋にある従業員の混沌さもそれに当たるのかと思った。この混沌さは、「コクリコ坂」からの名前を忘れてしまったが、寮の生徒たちの生活ぶりにも似たものを感じた。

さて、千と千尋の神隠しを視聴して思ったことは、本作品は非常に面白く、それは私が当時(確か中学生)の頃に見たから
だと考える。

本作品を否定的に見る者は、内容が風俗を揶揄しているだとか、これまでの、あるいは以降の作品と比べて内容が薄いなど理由を示している。

これは理解できるし、前者の風俗に関するものはそのとおりとも思うが岡田斗司夫氏の何らかのコンテンツで述べていた、
「中学生に出会った作品はいつまでも心に残る」原理で私はどうしても本作品を面白いと考えるのだと思う。



取り留めもない話だし本記事のオチとして私の意見としては、保作品は大変おもしろいし感涙を禁じ得ない箇所も複数あるため是非見てほしいと言ったところである。



雑多的に思った点
・雨が降った後の海ができるって何位を意味してるんだろう。天才エリちゃん金魚を食べたとかいう童話並に

・彼女の本経験てのはべらぼうに稀有なものであると思うし、よくやり通したと思う。明らかに河の神を助けた以降生活に慣れているし、人間新しい場所に慣れるってにはなんだかんだできるものなんだなぁ。

・かおなしってカエル食ったあとはその声はカエルを利用してるものの、千と話すときはオリジナルの声で対応するんだね。でも人間2人以上食ったあとはそいつらの声を利用してたな。

・湯屋の部屋から見下ろす夜中の電車とか、冒頭の閑散としたスライドガラスの光とかいいよね。あとゼニー婆の家に行く途中の夜中の野道とかもたまらなく好き。多分これは中学当時見て、以降リアルに見た風景とリンクして、本日その映画の描写を見てジ~ンと来たんじゃろうな。

・どうでも良いがリンという千尋の指導者ポジションが「あたしンち」の「しみちゃん」というキャラクターに見える。

・この作品というか千尋は、最初は無礼なものの、次第に出会った人ぞれぞれにきちんとお辞儀するようになってるな。

・最後、異世界から変えるシーン、湯屋の皆が祝福してる一方で湯婆婆も最後の最後は振り向いて一瞥しているんですよね。これって、ラスボスを倒さず(わずかではあるけど)改心させてることを指していると思うんだよね。湯婆婆も随所に見せている経営者としてのイニシアチブをもっているし倒せばいいってもんじゃないのを言ってると思います。また、このラスボス倒さない理論ってのは宮崎氏が賞の受賞時の「この50年は戦争が起こっていない」ということにも関連して、日本人の気質ってのを表してる気がするんだよなぁ。


最後に、両親と千尋が最初のトンネルに戻って車の中にホコリが溜ってたことから明らかに時間経過しているが、大変不安になる。この一家の暮らしはちゃんと出来るのだろうか。仕事とか首になるだろって思います。でもまぁ、これは彼らは引っ越しのついでに1,2週間位の休日をとってたとか、時間経過自体は何かの魔法で圧縮して1,2日だったとかっていう妄想をして安心して視聴後眠りにつこうと思います。

2014年11月21日22時53分の取り留めもない話でした。ごきげんよう。