鬱屈、妄言過去のもの。いわゆる普通に価値あります

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これまでを振り返ってリア充と自身の比較

■文書概要
小生は北海道の札幌から約100kmほどに位置するM市に存在する教育機関へ6年間学生を経験してきた。その過程及びそれ以前リア充と呼ばれる社会的上位者に彼(女)らに対する嫉妬や考察をSNSやこれまでを振り返るための日記を通じて行ってきた。これら考察から自身が今後どのように生きていくことが最大幸福となるのか、その最適化の結果を述べることを本資料で述べる。具体的には過去の忌まわしい(笑)記憶の改ざんは出来ないけど、上書きによる嫌な記憶を下層に追いやればいいんじゃないかという結論としています。

■はじめに
いつも天気が悪い。M市にある低い偏差値の理系大学に集まって来る、小生を含めた怨念とか私怨とかが具現化してるんじゃないかと錯覚するほどだ。いつ決まるのかわからない就職活動(就活)を続けていると、案外M市こそ安心して身を置ける土地なのかと考えてしまう。(2014年5月当時)

実家はどうにも度を越してアタタカイ。M氏はまだ雪がちらつく気象状況なのにもかかわらず、実家は暖かくもう葉桜の時期だ。全く健全な両親と某レジャー施設に遊びに行くことが趣味の妹は、こんな小生をいつも温かく迎えてくれる。就活時や帰省時など、実家に帰るといつでも笑顔で迎えてくれる皆を見ると涙腺の緩みも禁じ得ない。

こんな愚息を褒めて、伸ばして就活のモチベーションを向上させてくれる家族には感謝の気持ちと申し訳ない気持ちがこみ上げる。ことさら後者の感情について、成果を挙げなければ申し訳ないという感情が押しよせ、ひしめき合い、メールボックスの無数の企業から断り、今後の就職活動の健勝を一方的に祈ってくるテンプレみたいなメール(お祈りメール)をTwitterに(企業名と自信の名前は隠して)Tweetしているようなクズである。一般的に見てまともな人間になりたいものだ。まだこの目標を掲げられている段階は更生の余地ありなのだろうか。

そういえば一ヶ月ほど前、数年ぶりに再開した保育園の頃からの知人がこんなことを言っていた、
「お前は大学へ入る前まで(高校生まで)は真面目で皆を引っ張ってきていたのに何か変わった。特異になろうとおかしくなっている。何があったかは知らんが。」
と。

当時は言葉の意味を表面的にしか受け取っていなかったが、

”就活がうまくいかない要因の発見にもつながるかもしれない”

と考え思考を巡らせると、端的に小生には「セイコウ経験」が無いためだ、という局所解に陥る。性交もそうだし特に成功の方だ。後者の経験が少なすぎるから太宰治の「人間失格」みたいにどんな団体に属してもピエロを演じてしまうんだと考える。これは北欧への留学を通して通関した。”国変えても意味無いじゃん”と唐突に理解した。

高校時代から、果ては保育園の時代までさかのぼってそのピエロを演じ、どのようにやり過ごし「セイコウ」経験を失ってきたのか、その備忘録として記そうと思う。

■高校時代
順にさかのぼり、まず高校生の時分を振り返って感じるのがダブルミーニングのセイコウ経験の皆無さが思い浮かび泣きたくなる。

”高校生は勉学が基本。彼女なんていらないいらない”

なんて考えて毎日を過ごしていたら三年間が終わったという結論しか無い。本当に愚かしい。現在(平成26年4月5日午前11時0分)までもそうだが小生には彼女がいない。というか作れる気がしないし、作る場に行くのが怖い。女性が怖いのです。ことさら美人に対して。そもそも彼女を作るための行動(ナンパ?)及び女性からの承認という成功経験と果ての性交経験を経験していない人生は本当に不毛であり虚しいものであると今になって考える。

私は後悔するようなことをしたとしても敢えて振り返り後悔したくないと考え、またそのように生きてきたが、なかなかそうは言ってられない。ただただ悲しい。彼女を作るという行為そのものに挑戦しなかった自分が悔しい。あの灰色にも似た青春時代(青いという字との色の差が凄い)を無為に過ごしたことは私がおかしくなる要因の一つであろう。

また、後述する各教育機関でもそうだが、小生はいずれも生徒会長を務めてきた。これは私のアイデンティティでもあるが、”だからなんだ”ということであろう。同じく他人からすれば「単にでしゃばって全校生徒の前で何か話をする生徒」としか写っていないのだろう。全くその通りである。何も考えずに、でしゃばりたいため行ってきた所作である。代表(会長)を務めた任期中なんてものは鬱みたいに嫌がっていたし、また生徒会メンバと仲良くなれたわけでもない。ほとんど時間を無駄に、行事のための雑用係兼全校生徒の前でスピーチするための人間であった。アニメにあるような絶対的な権限で他の生徒をひれ伏させるなんてことはない。

実に愚かしい活動であった。また、こういった無駄な活動を表面的にしか評価しない教師陣は私を過大評価し、大学推薦を出すなど愚の骨頂を行った。身の丈に全く合わない大学に浮かれ気分で受験して落ちて悲しむという愚行を行ったものだ。この時点でも「セイコウ」経験の皆無の一助につながる。

■中学時代
上述した大学受験の他に私は高校受験も推薦で失敗している。これも自身の卑屈さを助長する大きな要因になった。芸がないもので、こちらも生徒会会長を務めた経験が主たる理由で推薦を申請した。また、中学は高校以上に内申点が重要視されており、当時は9科目で5段階評価だったため内申点がMax45であった。これはテストの成績はある程度必要だが、この他に授業態度も評価対象になっている。そもそも思春期まっただ中でまじめに発言、提出物の完遂など行う生徒は多くない中、愚直な小生はそれらを守り行ってきた。現在の就活で、「なぜまじめに物事に取り組むのか?」と人事のお偉いさんに聞かれるたびに”そうするのが好きだからです(笑顔)”みたいな葉の浮く返答をしていたがソレは嘘です。中学の時代に話を戻すと、これはただただ内申点のためです。そういった裏があり、また勉強そのものについては人並み程度の頭でございますからいわゆるできる奴らには到底及ばないです。こういった中学時代の考え方を振り返ると私自身が嫌いになり、またできる奴ら、ことさら授業態度の悪質であるが成績上位者に嫉妬の念を抱く。

■小学時代
このくらいに遡ると自身の鬱屈した思想というものに染まっておらず、純粋無垢に生きてこられたのかと考える。生徒会に関係ある行事に参加し始めたことは4年生ほど(10歳)からで、これは日々素行を教師が評価したため推薦で選ばれたわけである。この節では一旦生徒会や勉強の話から避けて友好関係について触れたく思う。こう考える理由は、小生の友好関係がほんとうの意味で良好であった最後の時代区分だからだと考えるためである。そのためこの時代にどのような友好関係を築いてきたか再認識することで現在なぜ友人ができにくくなったか、また性根が腐ってしまったか考える切っ掛けになると考える。

まず小学生になったばかりの1年では、学年全体で80人ほどで9割ほどは初見の生徒ばかりであった。それ故にこれまでの文化のちがいというものは強く感じざるを得なかった。仰々しく書いて入るが、言ってしまえば自分より素行の悪いものがあまりにも多くいたと感じた。当時自分自身がそれほど品性の高い人間ではないのは自覚しているがそれにしてもあまり暮らしていて気分の良いものではなかったと記憶している。

その頃の授業なんてものは難易度を感じるものではなく、また一部の生徒を除いてそれは例外ではなかった。従ってほぼどの男子生徒とも仲良くできたと考える。しかし、いま思い出してみても女子生徒と仲良くした記憶は全くない。これはなかなか衝撃的である。この小学生から友好関係を回顧することで、少くと小学1年生ほどでは女子と話しをしていただろうと高をくくっていたが違った。

以降、2年3年と大きな問題はなかったが、次第に勉強がうまく進まないことも発生してきて嫌になることもあった。特に2年次で頭の良い生徒にからかわれて泣いてしまったことを鮮明に覚えている。

■保育園時代
この頃に生ると、陽な記憶はほとんど無く、羞恥を覚えるような思いでしか無い。まず入園式日当日に父の剃刀をなんとなく顎に当てて皮を削ぎ血まみれになったため顎にバンソウコウを当てた記憶が最も新しい。また、時点で保育園メートの園児に何かやたらバカにされた記憶、さらにその園児と自身を保母に比較され、私のみブリーフ姿で泥遊びをさせられた記憶がある。大変屈辱的であった。こんなところであろうか。

■おわりに
上記を振り返るといずれの時代であっても自身を自虐する経験はおよそ存在していたことに気づく。しかしながら、よく考えても見たい。高校から保育園時代まで振り返えるとおよそ皆さんにもこういった恥ずかしい経験ないしは愚かな経験というものはされているのではなかろうか。

2014-11-26の22:54現在で今小生の考えるところでは、赤面したり恥ずかしがったりするようなことは誰にでもあり、ソレを受け入れなくてもよく、単に別の記憶(できるなら楽しい記憶であると良いかな)を上書きすることで忘れるようにして生きていけばいいんじゃないのかな。曇天の空も忘れて晴天を見れたならそれはそれで清々しいじゃないですか。

ごきげんよう。