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社会人1年目の新人教育受けていて思うこと

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こんにちは。

今回表題の件でも書きましたが申し上げたい点として社会人の新人教育と小学生の閉じた空間に類似性が非常に高いなぁと感じました内容があります。

 

それもズバリ高学年です。高学年のヒエラルキーが微妙に発生するしないに近い時分です。

 

 

小生、無事に社会人になり、大きな会社の子会社というなんとも微妙な立ち位置に入社いたしました。

 

同期の人数が学校の一クラス分でなんとも当時の楽しくなかった学生時代を思い出すわけでございます。

 

新人教育では、当然とは思いつつも挨拶の練習を繰り返したり字は丁寧にかけだのきちんと気をつけをセヨ、またかかりを設けて資料を配布せよ、電気を消せなどとあります。

 

その上で会社の歴史などを教えていただけているので、その点においては小学生を同一とは行かないものの、その根幹が小学生に似ているなぁと思うわけです。

 

いえね、そこまでであれば別に何の文句もありませんよ。問題はこの辺りからだと思うわけであります。

 

小生は外交的なふりをした内向的な人物であるわけで、多少なりいじってくれる周囲の人物が多いわけであります。そりゃあ気分を害する用なこともありますわな。

 

上述の係りをすべて任されるとか、(同期なのに)パシリにさせられるとか、気を許した人間だとおもって話した個人的なことを他の人間にペラペラしゃべるだす奴がいるだとか。

 

う~ん、この小中学生のころ感じたライトないじめ感。回顧回顧。

 

だんだんと書いていて嫌になてきてはいますが最後にひとつ、会社の歴史などご講話された後に質問をする機会があります。まぁなんのへんてつもない流れだと思います。

 

そこでそんなに話がうまくない方の後に質問する人なんてオリません。そういうときに敏感に察知してしまう小生はとりあえず手をあげてしまいます。なぜならあげない未来を考えるとご講話された方がムッとすると怒ってしまうとかんがえるためです。

 

そこから出る質問の低クオリティには私も反吐が出ます。自分で質問して自分でへどを出してしまいます。

 

しかし、周囲の奴らは質問せず余った時間をぼーっとしているよりは有意性のある行動だと考えておるのです。それを否定して来る輩がいるのです。それがたまらなく辛いのです。

 

しかも、既に出来つつある(と、勝手に考えてしまっているにすぎないでしょうが)ヒエラルキーに対して恐怖の念を持ち始めている昨今、ヒエラルキー上位者にそんなことを言われるとたまらなく萎縮してしまうのです。

 

社会人になる輩は往々にして暴力的な人当たりのよさ、暴力的に高い思考力、暴力的にチームワーク力が高いわけです。かろうじて内定をいただけた小生にはついていくだけで一苦労。あぁ大変。

 

ただ、たまに暴力的に私を理解してくれる超懐大きいやつという同期も少数ではありますが存在を確認しております。彼らこそ本当に大切にしなければならないと感じ入ります。

 

大量の悪質ないじりの中に一欠片の優しさを感じることで小生はかろうじて生きております。